ねだるな!勝ち取れ!

MiRISE講師陣

ミライズインターネットビジネスコミュニティ講師の大西です♪

頭で考えていることが全てだと思うと、全体を見誤ります。
自分の感じ方を正しいとしても同じです。
エゴなんて、湧き上がっても無視していいと知っていないと面倒なことになります。
他人を裏切っても、嘘ついてもいいと赦していないと、それはそれで墓穴を掘ることにもなります。
「言えないこと」があったっていいんです。
それを隠さず見せることが素直さや優しさだとするなら、押しつけであることには気づいていないことになります。
ここでの情報は、参考書でしかありません。
この通りにしなさい。じゃないってことです。
心の根っこを探っていって「まきさんが言ったから」に辿り着くなら、それは洗脳です。
ブログ読んで洗脳されていたら、世話ありません。
されるのは自由ですけど、責任持てないことも承知でいてくださいね♡

さて、思いっきり自由に生きていくために、目覚める方法として、いくつか道は知られています。
 
その代表的なものは、「孤独」に陥ることです。物理的他者や身内との接触が断たれる領域まで堕とされ、誰からも「関わりたくない」と拒絶されることです。どうしても身内や親友など、手を離さない者が側にいるため、「孤独」をヒシヒシと感じながらも、「救い」がある為、墜ち切りません。
 
助けようとしないこと、救おうとしないことの大切さがそこにあります。
 
「ねだる」と「求める」ことの意味の違いを踏まえておいてください。

「ねだる」は、1層200、2層050、3層001、4層005、5層003
「求める」は、1層700、2層101、3層019、4層700、5層020
 
この違いがあります。求めるとは一体で在ろうとする心です。
けれどもねだる心は、4層に狡猾さの悪魔の心が潜んでいます。つまり、企みがあるのです。1層では勇気を持ち、2層では断れてもいい、3層で消える思いで飛び込んでいるにも関わらず、4層ではそれが策略なのです。5層では痛々しい姿を晒しているけれども、ネガティブを放つ限り、引き寄せる現実はネガティブです。

1~3層までは、内観すれば自分が誠実で真剣だと疑いようがない心で挑んでいるものの、断られたとき「悲しみ」が押し寄せます。「傷つき」ます。この状態に心が動いたとしたら、それは「余裕がある」ことの証拠だと認識してください。泣くほどの暇があるのです。傷つく余裕があるのです。
 
真剣に求めて断られて傷つくことは実はないのです。4層で700という一体で在ることを決めた心なら、断られても別の方法や手段を模索します。そして掴みます。それが諦めない心です。
 
 
マタイによる福音書に「求めよ、さらば与えられん。探せよ、さらば見つからん。叩けよ、さらば開かれん」とあります。
これは、1層910、2層002、3層001、4層960、5層009というエネルギーを放つ真理を集約した言葉でもあります。

 
この言葉にすがる姿を見せると、5層では「009哀れ」と映るので、聖書の言葉なんかにすがっちゃってと思われるところがありますが、リーディングでも何でも、この姿勢で取り組んでいる人は、現実化させます。

1層が900越えの十全性の領域であるため、必ず到達することを確信している状態でもあります。2層の002は感じない心であるため、ネガティブな気持ちに浸ることはありません。寂しいとか、後悔とか、ガッカリとか、怖いとか、欲しいとか、腹立たしいとかなんて微塵も湧きません。微塵もです。感じない心とは、ネガティブに陥らないことです。だから冷酷です。3層の001は、自分の腹に据えた知識がなんの役にも立たないことを知っているため、無視している状態です。無知の知です。だから内側の情報に頼らず、閃くことしか意識していないのが3層の001という姿です。4層の本質の心が960というこれまた言葉にしようもないエネルギーを放っているので、解説不可能なのですが、1層と同じく、それ以上に安定性すら見せる不動さがそこに在ります。そして5層は009と低いエネルギーを放つ訳ですが、「欠けている心」として自覚があるから「求め、探し、叩く」のです。それでいて欠けていないから一体を超えた世界に飛び込んでいるのが、4層と5層の差です。

5層は源層です。ここに欠けた心を置き、4層は瞑層という深淵な部分で完全性という心でいるのです。
そこに表れる姿は、どんなものか想像してみることです。

「ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん」とは某アニメの台詞ですが、自分自身で掴み取りに行かなければ、何事も成し得ません。誰かが、周りで手を差し伸べる限り、立てないものでもあるのです。
これは、1層020、2層010、3層050、4層700、5層820というエネルギーを放ちますから、恥ずかしさや、惨めさや、期待外れの絶望を前にしてでも突き進む心であれば、手にできるよって意味になります。
 
 
誰かが困っていると、手を差し伸べるのは自然の姿です。
けれども、それが狡猾なる企みだとしたら?
 
 
自分の手を取る人は味方、無視する人は敵。もしくは無視した人の心に問題があるなどと解釈する限り、物事は何も変わりません。
 
 
相手にエゴが残っていようが、幻想に囚われていようが関係ないのです。常に問題は自分にあります。
 
 
「ねだる」と「求める」どちらの心か分からないって人がいます。4層という深い領域は、おいそれ触れられるものではないものの、それは現実を見れば気づけます。
 
 
ねだれば現実化せず整いません。
求めれば現実化して整います。
 

つまり、リアルな今を目撃したら、心と現実が一致しているか知ることは容易いのです。
思ったようになっていないとするなら、違うのです。

 
つい口走ったことが、「そんな風に受け止められると思わなかった」などと言い訳する人がいます。
私もあります。あるけれど、それを知れば、表現は変わります。相手の受け止め方を「知らんぷり」するのではなく、こちらの表現を変えるし、在り方を変えます。望んだように受け取ってよって、するのではなく、どれだけ共感し共有できるかに視座が向かないと叶いません。
 
 
カルマや観念がいくら残っていても、好きなことを求めていれば、幸せは引き寄せられます。そして更なる至福に至る為に、残されていたカルマや心の傷が癒やされようと統合を果たしはじめるため、課題が突きつけられます。
 
 
遅かれ早かれ、分離感とは向き合うことになります。外して飛躍するか、飛躍して外して行くか。ただ、後者だと逃避します。少なくともお金があり成功していますからね。問題と向き合う必要性を感じませんから。だからお金がなく成功していない段階で藻掻き苦しみ、その中で掴み取っていくことで飛躍できるように変われると、本当の強さを身につけられます。

しかし、お金も成功もしていない人の言葉は、人の胸には響きにくい欠点も抱えています。まずは自分を癒やし、飛躍して見せてから、他者に関わることです。
 
 
「孤独」と共に在ってください。

 

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